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すでに破綻した前衛主義ー守株中国のゆくえ
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作成日時 : 2008/11/17 19:47
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守株とは、「待ちぼうけ」の歌で有名な中国の故事である。広辞苑によると、「古い習慣を固守して時に応ずる能力のないこと。少しの進歩もないこと」ということになる。1980〜90年代の共産主義国家の破綻は、いわゆる前衛主義によるトップダウン式の計画経済が、結局は資本主義経済に大きく劣るものであることを証明したはずだった。
中国共産党は、それを他山の石としてその政策を転換、改革開放政策という現実的政策で、その崩壊を回避して来た、というように私は考えていた。中国人は巧妙なリアリストだというのが、その巧みな政策転換を見て感じたことである。それに冷水を浴びせたのが、いわゆる〈天安門事件〉だった。私は、結局は駄目なのかと失望した。
しかし、停滞したかのように思えた改革開放政策は、1990年代に入って、大きく進展し始めた。中国への投資の呼び込み、それを通して驚異的な経済成長を遂げ、かつてのような、人民服に自転車といった中国のイメージが、みるみる変化していったのだ。おそらく若い人には、人民服や洪水のごとき自転車通勤の様など、それが中国のイメージだったことは、もはや理解できまい。
私は、そのような中国の大きな経済的変化は、いずれ一党独裁をも変質させるだろうと考えていた。どのようなシナリオかは分からないが、彼らはおそらく巧妙に修正社会主義国家(修正資本主義の対義語的な意味合いで考えてみた)へと移行していくのではないか、その過程で、様々な自由化が図られるだろう、と。地方自治の拡大も、いうなればそのような政治的課題であり、いずれはその方向に大きく舵を切るに違いない、と考えていたのだ。
だが、現実はいまだ道遠しの感があると言わねばなるまい。チベット問題における中国政府の対応は、いわゆる旧態依然としたかつての中国共産党のそれであり、救い難い迷妄に陥っているとしなければなるまい。何ともひどいものである。
【
真の自治要求も中国拒絶で失望
ダライ・ラマ14世特使
[ダラムサラ(インド北部)16日共同]チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の特使ロディ・ギャリ氏らは16日、チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで記者会見し、10月末から11月5日まで北京で開かれた中国政府との対話で、チベット民族が「真の自治」を獲得するための要求をまとめた文書を中国側が拒絶したことについて「深く失望した」などと述べた。
ギャリ氏は、チベット側が要求する自治は中国憲法で相当程度まで認められていると主張。】(沖縄タイムス 17日朝刊 4面より)
信じ難い頑迷さだ。共産主義革命を信じていたかつてのロシア同様、領土の拡張は共産主義の拡張であり、絶対善だという唯我独尊的考えから、決して支配地域を手放そうとしなかったかつての迷妄を、いまだに引きずっているということか。これは、共産主義の皮をかぶった帝国主義、とでも表現すべきものだ。愚劣である。
だが、おそらく徐々にではあるが、変化は、もはやとどめようもなく進行している、とすべきなのだろう。先日、何気なくテレビを見ていると、広東省の玩具工場が急に閉鎖され、約6千人もの人が職を失ったという。賃金も未払いで、暴動さえ起きかねない状況に陥り、地方の機関がその賃金を代わって支払い、暴動を未然に防いだ、と報じていた。
これなどは、天安門事件のように、簡単に軍隊を市民に対して出動させることが、もはやあり得ないという中国共産党の認識を、示していると考えるべきだ。今までなら、躊躇することなく軍隊を派遣していたはずだ。天安門事件は、決して無駄ではなかったのだ。天安門事件に対する歴史的総括がなされ、謝罪するようなことがもしもあれば、中国は始めて世界の中で一等国の地位を獲得するだろうが、さてさてそんなことが実現するためには、さらに軽く30年ほどはかかるかも知れない。
むろんそのような状況になれば、チベット問題も大きく前進していることと思われる。ということは、チベット問題解決には、最低でも上述の年数くらいは想定しておくべきということか。天安門事件から来年で20年、これが、天安門事件のような政治権力の発動がほとんど不可能となるのにかかった時間と考えれば、中国政治中枢部の考え方が変化するには、一世代程度は最低でもかかる、と見るべきなのかも知れない。
チベット問題への対応は、中国の民主化の度合いを示す指標だ。中国政府のこの問題に対する対応は、そのような視点で見ていくことが可能だろう。チベットの人々が、その歴史と伝統を守り、自らのことを自ら決定できるようになること、これは極めて重要な政治課題である。民主主義ではごくごく当然のことが、いまだにチベットでは実現されていないのだ。
むろんチベットで実現されていないことは、中国の全土において実現されていないことを意味する。そういう意味で、これを民主化の指標とすることが、可能なのだと考える。確か中国は50余の民族を抱えているはずだが、それぞれの民族や地域で自治権が拡大し、自らのことを自ら決められるようになっているかどうか、それはチベットの状況で判断できる、ということが指標″の意味である。
この問題に対し、小さな声ではあるが、発言することを、私は決してやめない。政治は真に人々の幸福のためになされ、決して人々が政治のために犠牲を求められてはいけない、これは私の信念である。
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