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<<   作成日時 : 2009/11/25 19:28   >>

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画像 私がパソコンを始めた25年前、パソコンは、それこそただの箱でしかなかった。読者には信じられないと思うが、何かパソコンで作業をしようと思うと、その作業を実行するためのプログラム作りから始めなければならなかったのだ。例えば成績処理をしようと思えば、成績処理をさせるプログラムを、最初に組み上げねばならなかったのである。

 パソコンを使いこなすためのプログラム言語BASIC講座が、テレビ番組として存在したことなど、もはやほとんどの人が知らないに違いない。パソコンに付属するマニュアルは分厚く、BASICの解説のために膨大なページが準備され、関数についてもその記述の仕方が詳しく書かれていたものだ。現在の状況からは信じられないことである。プリンタを使おうと思えば、プリンタに付属するマニュアルでBASICを調べ、記述しなければならなかった。

 しかし、パッケージソフトを使う現在とは異なり、その頃は、全てを自分で統括しているという満足感があったものだ。これだけは、使いにくかったにも関わらず、当時のパソコンにしかなかったものだろう。プログラムを書くことは、いえば評論のように、論理を積み上げることにとてもよく似ていた。論理にミスがあれば、当然とんでもない結果が出たり、プログラムがエラーを返して止まってしまったりする。それを丁寧に解きほぐして、論理を組み上げて行く。何ともワクワクするような世界だったが、それは、ちょっとマニアックな資質を持つ人間の、孤独な嗜好の世界といったものだった。

 1980年代の末まで、私は、そんな世界に浸り切っていた。文系人間にはふさわしくない世界だが、面白いことにBASICは、文系人間にとっても極めて親切な、取っ付きやすい言語だったのだ。体調を崩さなければ、私の人生は、ひょっとしてもう少しパソコン世界へと傾斜していたのかも知れない。

 1990年代に入り、体調を崩した私は、5、6年ほどパソコンから離れた。パソコンだけでなく、文学すらも放棄した。その頃のことを考えると、人生の頓挫というか暗闇というか、完全に自分を失っていたとしか言いようがない。プログラムを組むなどということは、想像もできないような精神状態だった。教師の仕事も辞めてしまった。

 90年代半ば、やや回復した私は、Macを使った版下作成の仕事に就いた。驚くべき世界だった。イラストレーターというソフトを使い、自在に加工編集できるデザインの世界、その精密な表現能力に驚いた。と同時に、NECのパソコンを購入したのだが、パソコン世界は、私がちょっと休んでいる間に、まったく違う世界へと進化を遂げていた。Windows95上でパッケージソフトを走らせる、それが当たり前であって、BASICの解説マニュアル自体が消滅していたのだ。

 マニアックな人間にとって、パソコンは、実につまらないものになってしまっていた。昔は、パソコン自体が遊び相手だったのだが、パッケージソフトの指示通りに動く忠実な家来になっていた。私は、もはやパソコンへの興味自体が失せてしまったことに気づいた。成績処理ソフトも、幾種類も既製品が存在するのだ。金を出せば、すぐに仕事が始められる。喩えは悪いが、女性を、論理を駆使して時間をかけて口説き落とすのではなく、金で買うようなものだ。

 しかし、それが、パソコンというものの成熟として、必然の方向性であることは、おそらく間違いないことなのだろう。誰でも使えるということが、パソコンの普及を一気に加速させたのは間違いあるまい。それは、当然のことだが、Windowsの成果だとすべきである。なお、そのような方向性を、すでに80年代から実現していたのが、Macintoshだ。

 90年代の末頃だろうか、新たなる動きとして、インターネットが、パソコン世界を大きく変化させた。それまでは、おもに事務処理の道具でしかなかったパソコンが、個人が利用する道具として新たな世界を広げたのだ。インターネットショッピング、メール、ウェブサイトの開設等々。ところで、ウェブサイトの開設でも、最初の頃はHTML(ハイパー テキスト マークアップ ラングウィッジの頭文字)なる言語を勉強して記述していたのだが、ウェブサイト構築用のソフトが登場、現在ではネットサービスプロバイダ自体が、簡便にウェブページを構築できるサービスを提供している。これもまた、誰でも使えるようにするという方向性を満たすものだ。

 2000年代に入ってそろそろ10年、インターネットの凄まじい普及は、社会そのものをも変えようとしている。楽天、アマゾンといったネット上の小売店鋪が、今や流通の世界すらも変えつつあるのだ。百貨店業界やスーパー業界の不振は、もはや長期的な様相を呈しているが、それが、単にサブプライムローン問題に端を発する世界不況の影響とだけ考えたら、ひょっとして間違うのではなかろうか。

 と言うのも、私自身、様々なものをネットを通して購入しているからだ。我が家の電化製品で、ネットショッピングでは購入しなかったもののほうが、この10年に関していえば少ない。エアコン(累計5台)、液晶テレビ(累計2台)、パソコン(累計4台)、プリンタ(累計2台)、電話。家電以外に広げると、本、CD、DVD、植木に百合、グラジオラスの球根、高枝切りばさみ、頭痛薬、おせち料理等々。日々の生鮮食料品以外だと、まずネットで調べ、送料込みでも安くないか、支払い代金を検討することになる。

 確か、すでに全消費の2割近くが、ネットショッピングでまかなわれているはずだ。少し前のニュースだったので確実ではないのだが、この割合は、今後どんどん高くなることが予想される。拙著『声の道』では、将来小売りで生き残れるのは生鮮食料品を扱う部門だけであり、他分野では、外食産業や理髪店等のサービス業、そして流通業界しか残っていかないのでは、と書いたことがある。

 ショッピングモールや家電量販店が大盛況の現代だが、それも一時的なものに過ぎず、ショッピングモールはテーマパークのような世界へ衣替えして生き残るか、消え去る運命にあるような気がする。実際、私自身、地域の家電量販店に出掛けるのは、ネットで調べた商品を、実際に見てそのデザインを確かめるためであって、まず購入することはない。ネットのほうが、送料込みでも、遥かに安いからだ。

 そんな家電量販店が生き残るとしたら、ネットビジネスの末端となって、家庭へ商品を届け、設置するという最終段階での役割ではないか。現在の運送業者は、そのような設置までは行わず、顧客自身がすることになる。すると、少々面倒なセットアップがあったりすると、どうしても我々素人は、二の足を踏んでしまうのだ。おそらく、末端の運送を担う業者か、あるいは宅配業者がそんなサービスまで引き受けるようになれば、もはや量販店もネットビジネスの下請けとなって、追随するしかなくなる可能性がある。

 1980年代から始まったパソコンの普及、その性能の向上とともに、またそれが可能にした仮想空間によって、現実世界が大きな変革を辿って来たことは、論じるまでもないのではなかろうか。この20数年の社会の変化は、しかし、いまだに完了したわけではない。パソコンを初めとする電子機器の普及、そのことが社会に及ぼした変化たるや、目を見張るものがある。

 ネットのニュースで、「Web サーバー機能をもつ『Opera 10.10』がリリース」というのを読み、ほう、個人でサーバーを運営する時代になるのかと、驚きとともに、パソコンに親しみ始めた頃のことを思い出した。今日は、パソコン自体の性能向上と、それが社会にもたらした変化を考え、書いてみた。若い人は知らないだろうが、ほんの20数年のことなのに、隔世の感がある。

 しかし、そろそろパソコンの発達や、それに伴う社会の変化を検証し、その功罪を問うべき時期に来ているのかも知れない。ネットを使った犯罪もまた、現代社会に特有のものだ。昔はパソコン中毒と言ったものだが、最近ではネット中毒なる表現があるようだ。そのような、人間の精神に及ぼす影響も、無視できないものとしてある。パソコンを、社会や人生にどう位置づけるべきか、そういうことが、そろそろ議論されてもいい時代だと思う。



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