アカバナー通信

アクセスカウンタ

zoom RSS 後生畏るべしーノーベル物理学賞受賞雑感

<<   作成日時 : 2008/12/13 19:42   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像 日本の伝統文化である盆栽、何とそれがヨーロッパでも注目され、愛好者も出て来たというニュースが流れていた。ふむ、健康志向から生まれた日本食ブームが、いろいろな日本文化にまで及び始めたのかと思った。若者の間では、日本アニメが流行し、コスプレ愛好家も多いと、これまたテレビから映像として流れてくる。なお、コスプレとは、コスチュームプレーの略で、アニメの登場人物の衣装や髪型を真似ることである。

 プレーだから、もちろん一種の遊びであり、それをファッションとして主張しようというのではないのだろう。しかし、ここまで若者の間に広がると、将来、そのようなアニメファッションの影響を受けたデザイナーも、登場してくるのかも知れない。時代は、そんな風に動いていくものだ。つまり、若者の様々な試みがまずあって、そのほとんどは消えていくのだが、新たな時代を作る萌芽も、実はその中に含まれている。新たな時代を作り出すのは、若者なのだ。

 還暦も近くなると、ついつい「最近の若いものは……」といった考えに陥りがちだが、それはやはり正しくないとすべきだろう。今までの発想の範囲内に収まっている、いわば「お利口さん」な若者だけだと、新たなる時代の新たなる発想は、決して生まれることはない。それでは、人類の文化は停滞してしまうばかりである。そのほとんどが、実を結ばない、時には眉をひそめるような理解に苦しむものだとしても、そんな、若者たちの、玉石混淆の新たなる試みの中からしか、新時代を形作る新たなる芽は生まれ得ないのだ。

 コスプレ自体が、時代のファッションとなることはなかろうが、それが、新たなる時代のファッションを作り出す感覚を育てる、あるいは大きな示唆を与えることは、これは、可能性として否定できないことではないか。デザイン感覚を育てる環境の一つとして、むろん様々な当代を代表するデザイナーの作品も重要だろうが、幼い頃から目にしている周りの世界、そこにあふれているデザインもまた大きな役割を果たすだろう。そんな、さりげなく身の回りにあるデザインの一つとして、アニメがあり、その登場人物たちの衣装がある。影響は、たぶん避けられまい。

 若者たちは、いわば現実の最先端にいる。芸術でも学問でも、偉大な作品や世紀の大発見が、ほとんどが若者たちによってなされていることに、もう少し驚いてもいいのではないか。例えば、アインシュタインが特殊相対性理論を発表したのは、何と26歳頃のことである。当然、それが着想され、練られたのはそれ以前ということになる。今回のノーベル物理学賞小林誠氏、益川敏英氏が、その受賞のもととなった論文を発表したのも、1973年、20代後半〜30代前半の頃なのだ。

 どうして今頃になって受賞なのかと、いぶかる人がいるだろうか。以下、毎日新聞の記事を引用しよう。突出した高度な理論のゆえに、理解されることはもちろん、その実証にも時間が必要だったようである。

【 08年のノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(87)と、小林誠・高エネルギー加速器研究機構(KEK)名誉教授(64)、益川敏英・京都産業大教授(68)が築き上げた素粒子論は、自然界に潜む「対称性の破れ」を理論的に用いて、質量の起源や物質の存在など、根源的課題に挑んだものだ。3氏の理論は近年になってほぼ実証されたが、発表当時は専門家からもほとんど注目されなかったほど先進的。40年近くたった今でも、多くの人にとってきわめて難解だ。】(毎日新聞 10月12日 東京朝刊の冒頭より)

 なお、以下その理論のごくごく大まかな解説が続くのだが、興味のある方は→以下にリンクしておいたので、そちらを参照されたし。正直言って、私には理解不能である。もう少し、喩えなどを用いて、基本的な枠組みだけでも理解できるように説明できないものか。いやはや、これは大学の物理学専攻の学生くらいにならないと、理解できないのではなかろうか。(→「対称性の乱れ」毎日新聞ニュース)

 日本という社会が、時にそんな若い力を軽視しがちなことは、大きな問題だと思う。例えば、スポーツにおける実力主義より重視される実績主義、学問の世界でも、教授の発想の範囲でしか研究の方向性を持てない若い研究者など、首をかしげる状況はいくらでも見つかる。

 広島大学で学んでいて、そんな学問世界のピラミッド権力構造を見るにつけ、何とも不思議な感じがしたものだ。発想の自由が保障されないところに、新たなる発見は決して生まれないし、学者が奉仕すべきは、真理という神であって、上司ではないはずだからだ。

 若者の、時に非礼に過ぎる振る舞い、既成の秩序を無視するような考え、何者をもおそれない傍若無人さ、それは、もちろん困ったことであり、眉をしかめるしかないのだが、その同じ土壌でしか、今までの発想を根底から打ち破る着想も生まれ得ないことを、我々は考えるべきである。

 つまり、ひんしゅくを買う若者と同じ精神構造、偉い先生の説などくそくらえと思っているからこそ、ノーベル物理学賞に値する独創的な論文も可能であることを、人々は知らなければならない。権威主義にとらわれ、「◯◯教授の説だから……」と思考停止するような者に、新たなる理論を生み出すことは出来ない。「俺こそは……」という不敵な思い、不埒な信念にとらわれている自信過剰な人間の中にこそ、新時代を生み出す才能が隠れているのである。

 あらゆる秩序は破れ、絶えず新たなる秩序が生成される。これは、人類の歴史が、決して停滞することなく進んでいくために必要な新陳代謝であり、不可避の混乱である、と考えることができる。そんな混乱の中にこそ身を置き、その中で存分に自らの可能性を試そうというのが若者なのだ、と考えるべきなのではないか。

 逆に言えば、先のまったく見えない無秩序、不安のまっただ中で、本人にはその意識はまったくないだろうが、知らず知らずのうちに、歴史という大きな重荷を背負って闘っているのが若者だ、と考えることが出来る。そんな、不安、混乱、時に絶望に襲われながら、また強烈な夢や希望に胸を高鳴らせているのが、若者なのである。

 むろん、「若者を温かく見守ろう」などと、利いた風なことを言おうとは思わない。やはり、彼らの幼さ、傍若無人さ、時に非礼さは、十分に神経を逆撫でするからだ。ただ、そのことにこだわり過ぎて、「角を矯めて牛を殺す」ような愚かさには、決して陥ってはならない、と私は考える。若者を敵視するような行き過ぎた管理主義が、例えばOECD学力調査で指摘された、生徒たちの意欲のなさにつながっているのではないだろうか。読者の皆さんは、どう思われますか。

※角を矯(た)めて牛を殺す〜少しの欠点を直そうとして、その手段が度を過ぎ、かえって物事全体をだめにしてしまう。(『広辞苑』)[曲がっている角を真直ぐにしようとし、かえって牛を死なせてしまうことから]

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
後生畏るべしーノーベル物理学賞受賞雑感 アカバナー通信/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる